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心理学ワールド 79号 心理学ライフ 追憶─フェスティンガー先生 木下 冨雄(京都大学 名誉教授) | 日本心理学会

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Academic year: 2021

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44  心理学者であればその専門分 野を問わず,フェスティンガー (L.Festinger)の名を知らぬ人は ないだろう。事実,フロイト,ピ アジェ,スキナー,バンデューラ などと並んで,フェスティンガー を20世紀最大の心理学者の一人 として挙げる人がいる。しかしな がらこのフェスティンガーが日本 をたびたび訪れ,研究者相互の交 流を深めていたことを知っている 人は意外に少ないのではないか。 この小論は,私がフェスティン ガーとの交流の中で得た学問的な インパクト,さらには人間的な深 みを語ることを目的としている。 学問的なインパクト  フェスティンガーが初来日した のは1960年4月のことである。東 大文学部の外国人講師という肩 書きであった。この時の滞在期 間は数ヵ月と短かったが,その間 東大での講義のほかに,池内一, 水原泰介,三隅二不二の諸先生を 始め,全国の社会心理学者を中心 にした10人足らずの小人数セミ ナーが数回開催された。私は当時 京大の助手であったが幸いにもメ ンバーに招いて頂いた。  セミナーで話題の中心となった のは認知的不協和の理論である。 フェスティンガーが代表作の一 つ で あ る『A theory of cognitive dissonance』を出版したのが1957 年のことであるから,話題がそこ に集中したのは当然であろう。し かし日本側からの質問は「この理 論はフラストレーション理論とど こが違うのか」といった少し的外 れのものが多かった。  私がフェスティンガーと個人的 に親しくなったのは,その年の5 月に京都で開催されたセミナーが きっかけである。当時京大には私 以外に社会心理学者がいなかった ので,京都を代表して何か発表せ よと上司から命じられた。そこで 話したのが私の卒論や修論を中心 とした噂の伝達実験である。フェ スティンガーは非常に関心を寄せ てくれ,「認知的不協和理論もそ の発端は噂の研究にあったのだ」 と,私の実験手法やデータの解釈 に至るまで根掘り葉掘り質問攻め にした。だが彼の学問的な考え方 の神髄に触れることができたの は,むしろ「放課後」のドライブ 途上や飲み屋のカウンターにおけ る雑談の席である。  フェスティンガーの学問的な 基盤に,その師であるレヴィンの 「場理論」的な影響があることは 間違いないが,彼の発想はそれを さらに超えた,自己,他者,環境全 てを包摂した「動的社会システム 論」というべきものであろう。そ して彼は,このシステムの構成要 素が共変動しながら動的平衡を 保っていると考えた。dissonance reduction というのは,その適応 形態の一つなのである。フェス ティンガーとの会話の中で,彼の 頭の中にあるこのような考え方 が,私の中にも次第にイメージ化 されてきた。  フェスティンガーというと認知 的不協和理論や社会的比較理論な ど,社会心理学の理論家としての 側面を取り上げられることが多い が,実は彼の初期の仕事は数理的 な研究や欲求水準の研究など基礎 心理学的な研究が少なくないので ある。研究フィールドが社会心理 学に拡がったのは1950年近くに なってからであろうか。  そういう学問的素地があるの で,彼の研究は現実社会での調査 に留まらず,広く野外実験や厳密 な実験室実験にも及んだ。その意 味で彼は理論と実証のほどよいバ ランスを保つ研究者なのである。 ただ彼は数理・測定論的,さらに 理論的厳密さを保ちながらも,そ こに内在する曖昧さをある程度許 容したほうが研究の発展に重要で あることを主張していた。この 「柔らかい」発想は私にとっても 極めて親近性が高く,すんなり共 有することができた。  もう一つ忘れられないのが,文 化的要因の取り入れに関する考え 方である。フェスティンガーはか つて公共団地における家屋の物理 的配置関係が対人関係の成立にど のように作用するかを明らかにし たが,その追試が日本で行われた ことを知ってこうコメントした。 「私の研究を追試して頂くのは光 栄である。しかし私の場合は人口 モビリティが高いアメリカとい う風土の中で,見知らぬ者同士を いかにして短期間に親しくさせる か,その工夫を住宅設計の場で行 えないかという発想が背景にあっ た。ところが日本ではモビリティ がむしろ低く,時には職場におけ る対人関係が,社員住宅という形 京都大学 名誉教授

木下冨雄

(きのした とみお) 1956年,京都大学大学院修士課程修了。専門は社会心理学, リスク科学。文学博士。著書は『リスク・コミュニケー ションの思想と技術』(ナカニシヤ出版),『記号と情報の行 動科学』『法の行動科学』(いずれも共編,福村出版)など。

追憶

─ フェスティンガー先生

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45 で日常的生活にまで持ち込まれて 煩いという話も聞く。だとすれば 日本で行うべき研究はそちらの方 向ではないのか」。私はこのフェ スティンガーの意見に大きな感銘 を覚えた。  ところがフェスティンガーは 1964年頃,突然,社会心理学者と しての筆を折り基礎心理学者に 回帰した。彼によれば,自分が取 り組んできた人間研究の進歩が 遅く,印象的な知見発表も少なく なった。自分の研究もマンネリ化 してきて,ふたたび生産的な仕事 を進めるには新しい分野からの刺 激を必要としたのだという。それ に彼が苦慮したのは社会心理学に おける数々の「倫理問題」や,ベ トナム戦争後,若者の反乱として 盛り上がった「伝統的価値観への 疑念」であった。この問題を解決 するには,文明史的に改めて人間 とは何かを根本から考察する必要 がある。1979年頃から彼が始め た考古学や歴史学の研究は,この 新しい大構想を解くためだったの である。  ただこの大転換は同学者の間に 賞賛と戸惑いを生んだ。本当の理 由は,認知的不協和理論が軍事研 究に利用されたことがショックに なったからではないかという噂も 流れたが,その真偽のほどは不明 である。 人間的な深みと面白さ  学問的なインパクトとは別に, フェスティンガーからはさまざ まな人間的深みを印象づけられ た。まずその一つは彼の呼び名で ある。私はそれまで彼をフェス ティンガーとドイツ風に呼んでい たが,アメリカではフェスティン ジャーと英語読みされることが多 いのに気がついて,どちらが正し いのかと尋ねたことがある。彼は 元々ロシア系ユダヤ人の家系なの だが,いとも気安く「どっちでも いいよ」と答えた。そしてさらに 「Zajonc(ザイアンス)ほど難し くはないだろう」とニャリと笑っ た。彼にとって名前とは,個体識 別のための符牒の意味しか持たな いのかもしれない。  呼び名に対するルーズさとは正 反対に,彼の書く文章は極めて緻 密,かつ明快であった。あるアメ リカの社会心理学者の友人に,ア メリカで一番美しい英語を書く心 理学者は誰かと聞いたら,彼は即 座にフェスティンガーと答えた。 そして英文で論文を書くならフェ スティンガーを真似しろと助言し てくれた。それ以来英語論文を書 くときは,「困ったときの神頼み」 ならぬ「フェスティンガー頼み」 を心がけている。  ところで彼が好きなものは人 間,それにお酒とゲーム。逆に好 まないのは名所旧跡めぐりであ る。まず人間好きというのは社会 心理学者なら当然として,愉快な のはゲーム好きということ。アメ リカ人だから元はトランプゲーム への関心が中心だったのだが,日 本に来て囲碁に嵌まってしまっ た。多分東大の水原泰介先生が師 匠だと思うが,生来の集中力や凝 り性も手伝ってめきめきと腕を上 げた。New Yorkにある大学のオ フィスを訪ねたら,挨拶もそこそ こに碁盤が出てくる。私との勝負 は彼が京都に来たときは私の勝 ち,New Yorkで 碁 盤を囲めば彼の勝ち というところであろ うか。  一方,好まないの は神社仏閣巡りを中 心 と す る 観 光 旅 行 で,京都のどの名所 旧跡を案内しようと しても行きたくない という。本当に興味を示さないの だ。同行者がいて渋々一緒に付い てくることはあっても,門の中へ は入ろうとしない。これには少し 困った。  フェスティンガーはその後も何 回か来日した。弟子達を連れて来 訪してくれたこともある。私の研 究室にも訪問してくれて私がその 汚さを詫びたら,「研究していれ ば汚くなるものだ」とフォローし てくれたことが懐かしい。その 後,私もアメリカに行くたびに彼 のもとを訪ねて旧交を温めた。  1980年代の後半,フェスティン ガーとの交流が少し途絶えて気に していたら,1989年の2月,奥様 のTrudyから突然お葬式の案内 状が届いた。まさに青天の霹靂。 言葉を失った。気を取り直して詳 しく伺うと,彼は少し前からがん に罹患し療養していたという。し かし彼は治療を拒否し生死を運命 に委ねたらしい。フェスティン ガーらしい最後である。ただ折角 の案内にも関わらずお葬式に参列 することは叶わなかった。これは いまでも最大の心残りである。  こうして私たちはこの世から偉 大なフェスティンガーを失った が,私の心に中には今なお厳然と してフェスティンガーは生き続け ている。輝かしい学問の先達であ り,かつ私の「兄貴分」であった フェスティンガーのご冥福を改め て祈るや切である。 京大での講義風景

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